駅逓所(えきていしょ)とは、交通不便の地に駅舎と人馬を備えて、宿泊と運送の便をはかるために設置されたものです。その起源は江戸時代に松前藩によって置かれたのが始まりで、明治以降も継続して設けられ、開拓期の北海道の交通や運送において重要な役割を果たしました。かつては北海道内に延べ六百十数か所の駅逓所がありましたが、昭和22年(1947)に駅逓制度が廃止されると次第にその姿を消し、現在ではほとんど残存していません。
島松駅逓所は、明治6年(1873)に札幌本道(函館~札幌間)の開通に伴い、島松川右岸(現在の恵庭市)に設置されたことに始まります。明治17年(1884)に中山久蔵が4代目駅逓取扱人に任命され、それに伴って島松川左岸にあった中山宅(現在の旧島松駅逓所建物)が島松駅逓所となりました。その後、明治30年(1897)の島松駅逓所廃止まで、中山家が経営にあたりました。また同地は、W・S・クラークが明治10年(1877)に帰国する際に”Boys, be ambitious”の言葉を残した場所でもあります。
史跡内には「寒地稲作この地に始まる」の碑、クラーク記念碑、中山久蔵翁頌徳記念碑などの記念碑のほか、久蔵が栽培に成功した「赤毛」の見本田、暖水路、蓮池などがあります。